リコの興味しんしん

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プロレスラー・金本浩二の人物像を紹介!現在の活躍ぶりも

1990年のデビュー以来、30年間トップ戦線で活躍している金本浩二選手ですが、その人物像はどんなものなのでしょうか。
また現在の活躍ぶりも気になりますね。
そのため今回は「プロレスラー・金本浩二の人物像って?現在の活躍ぶりも」をご紹介します!

金本浩二の人物像とは

今年でデビュー30周年を迎える金本さんですが、その人物像はどんなものなのかというと・・・

  • 相手を叩きのめすケンカファイトが信条
  • アニメのフィギュア集めが好き
  • 筋金入りのYAZAWAファン

などがあります。

それぞれ順に解説すると・・・

相手を叩きのめすケンカファイトが信条

これはプロレスラー・金本浩二の代名詞と言っても過言ではない彼の真骨頂であり、デビュー当時から変わることのない姿勢です。

というのも、金本さんは1990年のデビューから数年後に「3代目タイガーマスク」として活躍していた時期があり、その頃は初代タイガーマスクである佐山聡(さとる)さんを意識した空中殺法を使っていました。

ですが、タイガーマスクのファイトスタイルと自身が理想とするそれとのギャップに悩んだことから、素顔に戻ってからは自身が得意とするキックやチョップを主体としたラフファイト(ケンカファイト)を展開。

特にかつて所属していた新日本プロレスの一員だった頃は、他団体から参戦してきた選手を迎え撃つ「外敵ハンター」として知られ、対戦相手を徹底的に叩きのめしていたことから、当時は「喧嘩番長」というニックネームで呼ばれていたんですよ。

その証拠に、1度対戦した他団体の選手から「金本さんとは2度と試合をしたくない・未だにあの試合の映像は怖くて見れない」と言わしめるほどのトラウマを植え付けていることを考えれば、いかに恐れられていたかが判りますよね。

もちろん今現在でもそのスタイルは何ひとつ変わっておらず、相変わらず対戦相手をボコボコにしているので、おそらく引退するその時まで変わることは無いでしょう。

フィギュア集めが好き

上記でご紹介したケンカファイト云々とは対局の一面ですが、実は金本さんは幼少期から現在に至るまで「ウルトラマン」や「仮面ライダー」などをはじめとしたヒーローもののフィギュア集めを趣味としているんです。

何でもご本人いわく「購入したら開けずにそのまま飾っておく」のがこだわりだそうで、現在でも数えきれないほどの未開封フィギュアが、自宅に所狭しと保管されているんですよ。

リング上では容赦なく相手を叩きのめすことから恐れられている人が、プライベートではヒーローもののフィギュアをコレクションしているというそのギャップがとても意外ですよね。

例えれば、一見すると近寄りがたさを感じるほどコワモテな人が、実は無類の甘い物・もしくは動物好きというぐらいの衝撃が・・・(言い過ぎ?)。

ですが金本さんは「二面性を持っている」と言われるAB型ですので(関係無いかな?)、そう考えればちょうど上手い具合にバランスが取れていると言えるのではないでしょうか。

筋金入りのYAZAWAファン

金本さんは普段からTUBEや山下達郎さんなど、様々なアーティストの曲を聴かれるんですが、その中でも最も熱狂的に応援しているのが、ロック歌手の矢沢永吉さんです。

ご本人いわく「中学3年生で永ちゃんの曲に出会って、高校1年生からファンクラブに入った」とのことで、もはやファン歴約40年にもなる筋金入りなんですよ。

そのファン熱は凄まじく、プロレスラーとなった現在でもスケジュールが合えばコンサートに足を運んでいるのはもちろんのこと、ファンの必須アイテムと言っても過言ではない「E.YAZAWA」のロゴ入りバスタオルもバッチリコレクションしているんです。

また30代の頃は矢沢さんを意識して、入場の際には必ずと言って良いほど自身の名前がプリントされたフェイスタオルを首に引っかけていたほか、時には昔の矢沢さんのように整髪料を付けて髪を丁寧にセットしていたこともあります。

このことからも、いかに矢沢さんに影響を受けているかが判りますよね。

ちなみにお気に入りの曲は、矢沢さんが人気絶頂期だった1978年に発表した名バラード「時間よ止まれ」だそうで、夏の夜にはこの曲を聴きながら眠りにつくこともあるんだとか。

筆者である僕も金本さんと同じく矢沢さんのファンなので判りますが、時間よ止まれはとてもムードのある曲ですので、おそらくこの曲を聴いている時、金本さんの頭の中では時間が止まっているんでしょうね。

特に「また明日試合がある」という時には、この曲でたっぷりと癒されながら眠りにつくことで、明日への活力源にしていることでしょう。

経歴と現在の活躍ぶりは

では次に、そんな金本さんのこれまでの経歴を、入門からタイガーマスク時代・新日本ジュニア時代からフリー、そして現在までの二部構成でご紹介します。

入門からタイガーマスク時代

金本さんは1966年(昭和41年)10月31日、兵庫県神戸市出身の現在53歳で、1990年6月に新日本プロレスに入門、同年11月にデビューを果たしました。

ちなみに彼はかつて「ジュニアヘビー級」と呼ばれる、体重100kg以下の階級で活躍していた藤波辰爾(たつみ)選手に憧れてプロレスラーを志したため、当時から「生涯ジュニアヘビー級」を宣言。

当時から良い意味で新人らしからぬ、気迫を前面に押し出したファイトで知られ、同期の選手はもちろん先輩レスラーからも一目置かれる存在だったんですよ。

というのも金本さんは元来とても気が強い性格で、学生時代から自身が納得できなければたとえ先輩に対しても怒気をあらわに突っかかるぐらいに血気盛んだったので、それが試合の際のファイトスタイルに反映されたと言えるのではないでしょうか。

そしてデビューからわずか1年後の1991年にメキシコ武者修行に出ると、翌年には3代目タイガーマスクとして帰国。

数試合をこなしたものの、タイガーマスクのファイトスタイルと自身が理想とするそれとのギャップに悩んだことから、1993年1月の東京ドームでの敗戦を最後に決別しました。

ちなみに金本さんのタイガーマスクへの変身は、当初一夜限りのものだったそうなので、ご本人の中にはひょっとすると「あまりズルズルとやりたくない」という思いがあったんでしょうね。

新日本ジュニア時代からフリー、そして現在まで

こうして金本浩二として本名&素顔に戻ってからは、上記でもご紹介したように「喧嘩番長」というニックネームで呼ばれるほどの激しいファイトスタイルを展開。

その甲斐あって「新日本ジュニア最強の証」とされる「ジュニアヘビー級」のベルトを3度にわたり獲得するなど、名実共に「新日本ジュニアの顔」となりました。

また2004年と2006年には、ジュニアヘビー級でありながらヘビー級(体重100kg以上の階級)の選手達が総当たりのリーグ戦を行い、優勝を争う「G1クライマックス」に出場。

いずれも優勝はならなかったものの「ジュニアはヘビー級相手にも十分戦える」ということを証明して見せました。

事実それ以前はファンの大半が女性だったんですが、2006年以降からは男性ファンが急増。

このことからかつて阪神タイガースに在籍し、現在は監督としてその名を知られている金本知憲(ともあき)さんのニックネームである「アニキ」と呼ばれているんですよ。
同姓とはいえ、お二人ともどこか相通ずるものがありますよね。

そして2011年に、21年在籍した新日本プロレスを退団しフリーに転身すると、新日本プロレスと同じ1972年にジャイアント馬場さんが旗揚げした「全日本プロレス」をはじめ、様々な団体に参戦。

現在は特定の団体にレギュラー参戦することはせず、関西地区を中心に定期的に開催される単発の興行に出場することが増えています。

ですが、既述したように自身が得意とする打撃主体のケンカファイトを信条に、熱い試合を見せてくれているほか、2016年頃からは地元・神戸を拠点に舞台俳優として、また2018年からはYOUTUBEに自身のチャンネルを開設。
YOUTUBERとしても活動するなど、様々な顔を持っています。

まとめ

ケンカファイトが信条ながら、フィギュア集めを好むなど、ギャップが魅力的な金本選手。
これからもその二面性を存分に見せて欲しいですね。