リコの興味しんしん

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歌詞を重要視しない人の考え方とは?右脳派・左脳派で違う?

音楽を聴く際に歌詞を重要視しない人がいますが、その考え方とはどういったものなのでしょうか。
また、右脳と左脳で聴き方が違うとされているのも気になりますね。

そこで、本記事では「歌詞を重要視しない人の考え方とは?右脳派・左脳派で違う?」をご紹介します。

歌詞を重要視しない人の考え方とは

音楽を聴く際に、歌詞を重要視しない人の考え方はどういったものがあるかというと・・・

  • メロディやノリを重視している
  • 歌詞に共感することが無い
  • 不要なことに頭や時間を使いたくない

などがあります。

それぞれ解説すると・・・

メロディやノリを重視している

歌詞を重要視しない人の中には、「歌詞よりもメロディの速さとか、いかに楽しくノれるかが大切」と考えている人が多く、そういった人達は言わば「歌詞はオマケみたいなもの」「歌詞もメロディのひとつ」という考えをしています。

事実、それを裏付けるかのように、いくら歌詞が良くてもメロディやノリが悪いと、それ以上聴こうとは思えないといったような辛辣な意見を持っている方もいらっしゃいますし。

ですから、メロディやテンポがゆっくりでお世辞にもノリが良いとは言えない演歌や、昭和歌謡と言われるような音楽は好まず、邦楽・洋楽問わずそれらが比較的早く、自身が「心地良い」と思える曲調のものを聴く訳ですね。

ちなみに、筆者はこういった考えとは全くの逆で何よりも歌詞を重要視しますので、上で書いたような感覚は全くと言って良いほど無いんですが、メロディやノリが最優先という考えを持っている人は、おそらく音楽を聴く時に右脳を使って聴いているのではないかと思われます。

というのも、右脳はイメージする力や記憶力、つまり想像力やひらめきなどを司っており、別名「音楽脳」とも呼ばれていますから。

ですから、メロディを重視して音楽を聴いている人は、直感や感覚を研ぎ澄ませた状態で聴いているため、1度その意味を噛み砕いて考えなければならない歌詞よりも、曲が始まった瞬間にダイレクトに耳に届くメロディの方が印象に残りやすいものと考えられます。

確かにそういった感覚で音楽を聴いているのであれば、歌詞なんて…という表現は少しオーバーだとしてもメロディが1番大事との考えも納得できますよね。

それを実証するかのように、一部では「本当の音楽好きは歌詞を重要視していない」と言われていたり、その中には「音楽好きと言っているわりに、歌詞にこだわっている人を見ると何かモヤッとする」と感じる人もいらっしゃるくらいですから。

もちろんそれはノリさえ良ければ何でもOKといった気持ちだけではないと思いますが、やはりその根底には「音楽なんだから、音を楽しまないと損だろう」という気持ちがあると言えるでしょう。

歌詞に共感することが無い

こう書くと、おそらく筆者を含めた歌詞派の人達は「嘘だろ!?もったいないなあ」と感じるかもしれませんが、歌詞を重要視していない人達の中には、そもそも歌詞に共感することが無いので、歌詞が頭はおろか耳にすら入ってこない人がいると言います。

そうなるともちろん、どれだけ感動的なラブソングであっても、全身からやる気がみなぎってくるようなパワーソングであっても、「こんなの他人事じゃん。自分には関係無いし」といった、とてもドライな…もっとはっきり言ってしまえば冷めきった考えで音楽を聴いているということですから、当然ながら共感などするはずがありませんよね。

ちなみに、筆者は数々の心に響く歌(歌詞)を世に送り出し、老若男女問わず熱狂的なファンを持つ長渕剛さんのファンですので、音楽を聴く際はたとえそれが誰の曲であってもまずは歌詞を熱心に聴くんです。

それだけに、こういった考えの人の意見を見聞きすると、やはり「もったいないなぁ。歌詞にこそ歌い手の想い、主義・主張が込められているのに…」と思ってしまいます。

ましてや長渕さんは自身の曲のほぼ全てを作詞・作曲しているシンガーソングライターですので、僕を含めた彼のファンとしては、曲もさることながら、唯一無二と言っても過言ではない喜怒哀楽による自身の感情をありのままの言葉で綴ることから、時としてまるで詩人を思わせるようなその歌詞に共感して歌を聴いている人達が多いので、余計にそう感じるのかもしれません。

事実、僕の知人は、それまで長渕さんの曲を詳しく知らなかったにも関わらず、僕の勧めで発売から30年以上経った現在でもファンの間で根強く支持されている…とあるメッセージソングを聴いた際、視聴後に大粒の涙を流し「この曲の歌詞、メッチャ良いな~!」と感動していたほどでしたから。

話を戻して、こういった歌詞を重要視しない人達が好んで聴くジャンルの音楽は、歌詞が無くメロディだけのものを指す「インスト」などであり、歌詞があるものであっても、基本的に何かをしながら聴く「ながら聴き」をすることが多いので、歌詞が頭に入ってこないんだとか。

音楽の聴き方は人それぞれではありますが、確かにこれでは歌詞に共感することはありませんし、もし入ってきたとしても「ふーん…他人事だもんね」といったような考えになってしまうのも頷けますよね。

これは歌を制作している歌手の方々からすれば、「そんな…」と思ってしまうかもしれませんが、それと同時に「そういう人達に、私の歌は歌詞が良いと思ってもらう」という気持ちが芽生えることも無きにしもあらずかもしれません。

そう考えれば、歌詞に共感しない人達の存在は、自ら作詞を手掛ける歌手の方にとって、良い起爆剤になっているかもしれませんね。

不要なことに頭や時間を使いたくない

どこか身も蓋も無い言い方に聞こえるかもしれませんが、歌詞を重要視しない人の中には、歌詞について考えることを無駄と思っていることから、それに対して頭や時間を使いたくないという気持ちを持っている人がいます。

これは言い方を変えれば、効率的に物事を進めたい気持ちの表れとも言えるんですが、こういった人の考えとしては「そもそも詞の意味なんて書いた人にしか判らないのに、何でそんな余計なことを考えなくちゃいけないんだ」と思っているんですよ。

だからなのか、歌詞に対してだけではなく、考えてもなかなか答えが出ないような問題に関しては関心を示さないことが多く「そんなことを考えるよりも、他のことをしていた方が有意義だ」といった考えを持っています。

こう書くと、人によっては「ただ単に難しく考えることから逃げてるだけなんじゃないの」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、裏返せばやはり根底に効率的に物事を進めたいという気持ちがあることが理解できるのではないでしょうか。

ちなみに、僕は記述したように楽曲のほとんどの作詞を手掛け、発売から長い年月が経過した現在でも人々の心に残り続ける名曲を多く産み出している長渕剛さんのファンですので、彼の新曲を聴く際には必ず歌詞カードを目で追いながら聴きますし、往年の名曲を聴く際も歌詞を追いながら聴いているんです。

そうすることによって、「この歌詞はこういう意味なんだな」と改めて理解できたり、「ここはこういう比喩表現を使ってるのか…さすがだなぁ」と感心し、自身の言葉の引き出しに加えることもできますからね。

ですから、こういった考えを持っている人と接し、その考えを聞くとやはりどうしても「もったいないなあ」と感じてしまうんです。
(結論はそこかっ!)

しかし、こういった人の考え方ももちろん一理ありますし、音楽の聴き方に正解はありませんから、歌詞先・メロ先問わずそれぞれの聴き方で音楽を楽しみたいものですね。

右脳派と左脳派の違い

一般的に、人間には利き腕・利き足があるように、実は脳にも利き脳と言えるようなものがあり、右脳派と左脳派に分かれていると言われています。

つまり、音楽を聴く際に主にどちらの脳を使って聴いているかによって、歌詞派かメロディ派かが判るという訳ですね。

それぞの脳の働きにより、右脳派の人はメロディ派、左脳派の人は歌詞派が多いと言われているんですが、これは左右それぞれの脳の働きによるものです。

まず、右脳は例えば絵を見たりといった芸術鑑賞をする時に使われるほか、目からの情報や、直感的な情報を考える際にも使われ、別名「音楽脳」とも呼ばれています。

そもそもメロディを聴く時には感覚的な部分が強く働きますので、メロディを重視して音楽を聴いている人は、その際に右脳を使っていることになるんです。

事実、幼少期からピアノやバイオリンを習い、音を聴いただけでその音の高さを瞬時に判断できる「絶対音感」を持っている著名な音楽家の方々は、どんな曲を聴いてもメロディしか聴こえないそうですし。

対して、左脳は文字の読み書きや計算・会話をする際に使われることから、別名「言語脳」と呼ばれています。

「文字の読み書き=歌詞」の図式になるのは何となく想像できますが、つまり普段から歌詞を重視して音楽を聴いている人は、左脳を主に使いながら聴いているんです。

ですから、たとえばラブソングを聞いていて、「凄く良い歌詞だな。もし自分が実際にこういうふうに言われたら感動して泣いちゃうかも」というように、左脳派の人は歌詞の世界にどっぷりと浸って自分自身を投影し、想像力を働かせながら聴いているということですね。

僕が思うに、おそらく普段から左脳で歌詞を重視して聴いている人は娯楽のひとつとしてではなく、「自身に無くてはならないもの」と捉え、常に歌詞から「人生を生きるためのヒント」を得ているのではないかと思います。

もちろん、右脳でメロディを重視しながら聴いている人は、「サビの所のギターが最高!」「間奏部分のベースがシブい!」といった各々の感性を大切にしながら聴いていることは間違いありませんので、どちらが良い・悪いの話ではなく、十人十色の言葉通り、皆それぞれの聴き方をこれからも貫き、どこかでお互いに歩み寄れることがあれば、双方共に聴き方の幅がより一層広がっていくのではないでしょうか。

まとめ

メロディやノリを重視する、歌詞の意味の考察を不要と考えるなど、右脳派思考の歌詞を重要視しない人。
これからもその聴き方を貫いてほしいですね。

この他にも、記事中にお話した長渕剛さんの魅力やおすすめの曲を紹介した記事や、ロック界の漢の世良公則さんの人物像やおすすめの曲を紹介した記事があります。

もしよけば、こちらも読んでいただけると嬉しいです。

reco-kyoumi.hateblo.jp
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