リコの興味しんしん

リコの興味しんしん

各々の興味・関心事などに関する雑学を書いていきます。

元K-1選手シリル・アビディってどんな人?人物像・戦績・現在の姿も!

2000年代初頭のK-1で活躍したシリル・アビディさんですが、彼の人物像とはどんなものなのでしょうか。
また、戦績や現在の姿も気になります。
そのため今回は、「元K-1選手シリル・アビディって?人物像・戦績・現在の姿も!」をご紹介します!

シリル・アビディの人物像とは?


シリル・アビディさんは1976年2月15日(フランス版のウィキペディアでは25日との記載あり)、フランス第2の都市で最大の港町と言われるマルセイユ出身で、現在45歳の男性です。

そんなアビディさんは一体どんな人なのか、その人物像はというと・・・

  • 幼少期から札付きのワルで、ケンカ三昧
  • 家族や仲間を何より大切にするナイスガイ

などがあります。

それぞれ順に解説すると・・・

幼少期から札付きのワルで、ケンカ三昧

かつてK-1選手として活躍していた頃のアビディさんのニックネームは「マルセイユの悪童」または「フランスのケンカ野郎」だったんですが、その異名通り彼は幼少期から札付きのワルで、ケンカ三昧の日々を送ったんです。

というのも、彼は幼い頃に両親が離婚したことから、主に母方の祖母に育てられたのですが、祖母の話によると「この子(アビディさん)が道を歩いていて前から男の子が歩いてきたら、問答無用で殴り倒していた」んだとか。
まさに「悪童」そのものですよね。

ちなみに、アビディさんはインタビューでその頃を回想しつつ「恵まれない少年時代で、全てが面白くなかった。常にイライラしていた。」、また、「昔は自分の感情を相手に対してストレートにぶつけていたから、今よりもかなり短気だったね。」と答えていました。

もちろんそれは決して褒められた手段ではありませんが、おそらく満たされないストレスのはけ口をケンカに求めたということだったんでしょうね。

また、16歳の頃には地元の不良少年達4~5人を1人で叩きのめし、うち2人を病院送りにしてしまったことから更生施設への収監も経験。

この事件後、彼の名は何とマルセイユ中に広まり、以降アビディさんにケンカを売る人は誰もいなくなったんです。

さらに同時期、バーでアルバイトをしていた際に、マルセイユを縄張りにしているマフィアの人達からスカウトされた(丁寧に断ったそうですが)こともあるそうで、その当時、いかにワルとして有名だったかが判るエピソードですよね。

なお、彼は「武器は絶対に使わずに素手でやる」という喧嘩に対するこだわりがあり、たとえ相手がどんな武器を持っていたとしても自身は常に素手で行い、それでいて負けたことはなかったんです。

K-1で活躍する以前は、幼少期に柔道・成人になってからは砲丸投げなど、殴り合いとは縁のない世界で過ごしてきたアビディさん。

ですが、最終的にK-1のリングを主戦場にしたことを考えれば、やはり彼の中には殴り合いを求める「本能」が眠っていたと言えるのではないでしょうか。

家族や仲間を何より大切にするナイスガイ

このように幼少期から青年期にかけてケンカに明け暮れる日々を過ごしてきたアビディさんですが、実は自身の家族はもちろんのこと、友達のことを何より大切にするという、とても優しい心の持ち主なんです。

事実、ケンカとなる原因もご本人曰く「俺個人のことよりも、友達がやられてるのを見て助けに入ったことで、そうなる場合が多かった」んだとか。

また、アビディさんは普段から飲酒・喫煙もしないうえ、違法薬物をとても嫌っていることから、かつて悪友から勧められた際も「お前、こんな物をやっていたら人間としてダメになるぞ!」と一喝。
悪友の目の前でそれが入った袋を破り捨てたというエピソードもある
んですよ。

ワルはワルでも「筋を通すワル」だったということですね。

そして、彼はK-1に出場し始めた当初から「俺の夢は億万長者になることだ」と公言。
その理由として、「俺をここまで育ててくれたおばあちゃんに家を建ててあげたい」また「妻と幼い息子たちに少しでも広い家に住まわせてやりたいから」
というようなことをインタビューで言っていました。
この言葉からも、普段からいかに家族のことを大切に考えているかが垣間見えますよね。

元筋金入りのワルだっただけに、ひょっとすると家族に対しての気持ちは特に強いものがあるんではないでしょうか。

では、次にそんなアビディさんの主な戦績をご紹介すると・・・

シリル・アビディの戦績

アビディさんは1999年6月にスイス・チューリッヒにて行われた「K-1 Fight Night」でのピーター・マエストロビッチ戦でK-1デビューし、判定勝ちを収めました。

その後も無名の若手選手として数試合をこなしましたが、当時からストリートファイトで培った気の強さを前面に押し出した「ケンカファイト」で注目を浴び、ファンの方々をはじめK-1プロデューサーの方からも「彼は面白いですね」と絶賛されていたんですよ。

そして。、アビディさんの名前と実力が一気に知れ渡ったのは、翌2000年のこと。
かねてから「20世紀最強のキックボクサー」と呼ばれ、絶大な人気を誇っていたピーター・アーツ選手を何と1ラウンドでマットに沈めた(右ストレートでのKO勝ち)時です。

この1戦を期に一気にブレイクしたアビディさんは、その後も破竹の勢いでトップ選手(アーツ選手を含む)を次々と撃破。

その実力もさることながら、甘いマスクとファンサービスの丁寧さも相まって、男女問わず多くのファンを獲得しました。

以後は勝ち星ばかりという訳にはいきませんでしたが、勝っても負けても下手な小細工を使わず真っ向勝負をするという持ち前のケンカファイトを展開し、ファンの方を大いに興奮させました

なお、2004年の大みそかに行われた格闘技イベント「Dinamite(ダイナマイト)」では、TBS系番組「さんまのからくりTV」で一躍有名になったタレントのボビー・オロゴンさんと対戦。
まさかの敗北を喫したものの、試合後にはリング上でしっかりと相手をたたえるなどスポーツマンシップを見せました

そして翌年の2005年5月に自国フランスのパリで行われた「WORLD GRAND PRIX IN PARIS」大会では、同じフランス人のジェロム・レ・バンナ選手と対戦。

実はこの2人…かねてから因縁があり、大会前の1月にはアビディさんの地元・マルセイユでお互いにストリートファイトを繰り広げ、結果的にアビディさんが勝利したという「前哨戦」があったんです。

このことから大会運営陣は、試合として成立しないかもしれないとの懸念から、通常の倍の警備員を動員して万が一に備えるなど物々しい雰囲気の中で行われ、結果的にアビディさんはKO負けを喫し敗北。

ちなみに、アビディさんはこの試合の約1週間前にバイクで転倒事故を起こし左足首と首を負傷していて、とても「万全」と言える状態ではなかったんです。

ですが、おそらく元ストリートファイターとして、そして「1度ケンカで勝ったお前に負けてたまるか!」という意地から来ると思われる驚異のファイティングスピリットで、最終ラウンド終了寸前まで見事戦い抜いたんですよ。
恐るべき精神力(根性)ですよね。

そしてデビューから8年後、2007年の試合を最後に、現役を引退。

理由は公表されていませんが、僕が思うにやはり前述したパリ大会直前のケガが完全には治りきらなかったこと、同時期にサイドビジネスとしてマルセイユでパン屋をオープンさせたことが関係しているのであないかと考えています。

思わぬ形での引退にはとても驚きましたが、K-1のリングで彼が見せた「ケンカ魂を爆発させての試合」は、これからも忘れられることは無いでしょう。

シリル・アビディの現在

アビディさんは現在、かつてオープンさせたパン屋「SARL ABIDI」を売却し、レストランとフィットネスジム(どちらもマルセイユ)の経営者として活躍しています。

ちなみに、レストランに関しての詳細は不明なものの、ジムのそれはアビディさんのFacebookアカウント

から見ることができます。

また、フィットネス以外に格闘技の指導も行っているようですので、興味のある方は1度見てみることをオススメしますよ。

なお、3年前の2017年には「格闘技のリング復帰を目指して、本格的な練習を再開した」という報道がありましたが、それ以来何も続報がありません

復帰が流れてしまったのは残念ですが、それがいつか現実になる可能性も無きにしもあらずですので、僕を含めファンの方はその日を心待ちにしておきましょう。

まとめ

幼少期からケンカ屋としてならし「マルセイユの悪童」の異名で人気を誇ったシリル・アビディさん。
第2の人生もケンカ魂で頑張ってほしいですね!